第2回『インクスのスピード』

2011年4月11日 三代目奮闘記

インクスのスピード 2011_04_11

1975年(昭50)、茅ケ崎市にある小さな町工場で、私は創業者の孫として生まれた。ボール盤を扱う母の背にしがみつき、自動盤の油の匂いを嗅ぎ眠った。初めて打った寝返りでは、事務室のスチール机から落下したらしい。もちろん記憶は無いが、潜在意識の中には深く入り込んでいるらしく、町工場の環境は今でも自然なものとしてスッと受け入れられる。

 

小学校から中高、大学と特に家業を意識することはなく、むしろ祖母には町工場を継ぐ事は反対され、大企業への就職を勧められた。大学では機械科を選択、楽しい学生生活を長く続けたかったが、大学院に入学するとすぐ就職活動がやってくる。そこで私は、今でも私の仕事に対する考え方に大きな影響を与えている、素晴らしく、そして奇抜な会社にめぐりあった。

 

その会社はインクス。創業者の山田眞次郎は三井金属のデトロイト支社に勤めていたとき、3次元データから直接立体モデルを作成する3次元プリンタ(光造形装置)を一目見てすぐに退社。日本でその技術を元にサービスを提供する会社を創業する。1990年だった。当時3次元CADはとても高価で、一部の大手メーカーがかろうじて持っている程度。まさに3次元CADの黎明(れいめい)期に、大手製造業への導入、立ち上げ、3次元プリントサービス等で順調に業績を伸ばす。私が入社した2000年には、社員も100人を超え、初台の高層ビルの52階にオフィスを構えていた。

 

インクスでは入社1年目から開発部に配属され、とにかく作るものは世界一を求められた。「難しさを知らないからできる」というのが山田社長の考え方であり、これは今になってみると共感できる。入社2から3年目に立ち上げた携帯電話の試作金型工場は、3次元データから金型を作り、試作品を成形するところまで、45時間という目標を達成した。紙の図面は1枚も使わず、工作機械に至るまで全てのデータは、ネットワークでつながっていた。

 

この工場はものづくり日本大賞の経済産業大臣賞を受賞、携帯電話試作金型の世界シェアも30%以上とった。この技術はとても尖(とが)っていた。携帯・試作・短納期という条件下ではものすごいポテンシャルを発揮する。従来の複雑な金型製造工程を、規格化されたモールドベースに、マシニングセンタでの切削だけで加工するという単純化により、圧倒的なスピードを手に入れた。これはある一つのジャンルを構築したと思う。

 

しかし、本物までの道のりは長かった。そもそも量産金型は、金型製造のスピードより、最高の品質とメンテナンス性、耐久性が求められる。要求仕様が異なるのだ。このジレンマと格闘しつつ、6年半、まさに寝ないで働いた。仕事はとても大変だったが、それ以上に楽しかった。

20110411

(日刊工業新聞 2011年4月11日付オピニオン面に掲載)

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