第1回「商機広がる航空宇宙品質」

2016年4月4日

「商機広がる航空宇宙品質」

祖父が創業した小さな町工場に転職してもうすぐ10年になる。前職では、最新のITを使ってモノづくり業界に革命を起こそうと20代の情熱を全て注いできたプロジェクトが成功を収め、その会社は数年間で10倍に成長した。生意気にも、この小さな町工場を立て直すくらいはすぐに何とかなると思っていた。

そこから数年間、従来頼りきっていた主要なお客さまからの仕事はどんどん減っていく中で、待ったなしの借り入れ返済に迫られ、玉石混交さまざまな仕事に手をつけながら売り上げを確保するのが精いっぱいの、苦悶(くもん)の日々を送ることになる。少量多品種の短納期加工への流れは間違いない。品質は評価を受けながらも、ISO9001すら持っていない状態では話にならない。やりたいことは山積であった。

【自社の強み見つめ直す】

フランス・リヨンの駅前のひときわ高いビルの27階で、先ほどまで打ち合わせをしていた。フランス語、英語が飛び交い、新しいビジネスについて夢が広がっていく。ここに子会社を起こしたのは2015年5月。もうすぐ1年になる。窓から広がる美しい旧市街を見下ろしながら、この10年間で何が起きたのか整理をしながら考えている。

06年、緑色の公衆電話に使われていた部品を休みなく製造していた工作機械の稼働率はすでに圧倒的に下がっていた。そんな中で航空業界の仕事にチャレンジしようと思ったのはいくつかきっかけがあった。一つは、会社の強みを見つめ直すために、当時のお客さまに恥を承知でなぜ仕事を出してくださっているか聞いてみたこと。回答として最も多かったのは「品質」「信頼」である。それが最も必要になる業界はと考え、自然に航空宇宙業界に行き着いた。

【最難関加工技術で金賞】

もう一つは戦時中から飛行機に乗り、終戦後も民間航空会社で60歳になるまで機長を務めた母方の祖父の影響がある。幼少の頃、枕元で飛行機や宇宙の話を聞いて、不思議な気持ちになった記憶が今でも強く残っている。そんな祖父が、実は特攻隊で並んでいたところ海霧が発生して飛べずにいたら終戦になったということを知った。一方の祖父は町工場を立ち上げ、もう一方は特攻隊の生き残り。運命的なものを感じた。

飛行機を作る会社に実績もないのに飛び込んで仕事が取れるとは思えなかった。まずは航空宇宙業界から興味を持っていただけるような会社にならなければいけない。そのために当時考える中で最も困難な加工サンプルを作ることに集中した。

何が難しいか、という点から考えた加工サンプルは、その後、国内最大の加工コンテストで金賞を受賞することになる。この加工サンプルを持って、航空宇宙業界の展示会に出展した。転職してから2年後、08年のことである。通路の向かい側には、祖父の操縦していたYS―11以来、何十年ぶりに国産の旅客機を開発するプロジェクトの展示が行われていた。当時はまさかこのプロジェクトに部品加工として関われることになろうとは思ってもいなかった。

【フランス進出に手応え】

展示会で由紀精密を知ったお客さまは必ずウェブサイトでどんな会社か確認する。会社のロゴやウェブサイトは入社当初からかなりのこだわりを持ってしっかりとしたものを作っていた。10年には念願の航空宇宙品質管理の規格であるJISQ9100を取得した。こういった取り組みからきっかけをつかみ、何カ月も加工実験を行った後に初めて受注した1部品を皮切りに、今では売り上げの約4割を航空宇宙業界の仕事が占める。さらには国内だけでなく海外企業からの品質認証も受け、チャンスは世界に広がった。

ここフランスは、GDPに占める航空宇宙産業での生産量が世界で最も高い国である。マーケットの大きさは日本の3倍、人口は半分。チャンスは6倍大きい。言葉、商習慣、時差、壁はたくさんあるが、良い製品に対する評価は万国共通。じわじわと手応えを感じながらさらなる挑戦を続けたい。

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