第1回『大震災と計画停電』

大震災と計画停電 2011_04_04

3月11日午後4時、山口宇部空港。地震による便の遅れを知らせる場内放送を聞きながら、手荷物検査場を抜け搭乗ゲートへ向かう。穏やかだがいつもと違う雰囲気。搭乗を待つ乗客が席に座れずにあふれ、大型液晶テレビにくぎ付けになっていた。そこには、港町をまるごと飲み込む大津波の映像。我が目を疑った。映画のシーンにしてはあまりにリアルで残酷。すぐに茅ケ崎の工場へ電話した。一瞬で頭の中をあらゆる想定が駆け巡る。私の父親でもある社長が電話に出ると、特に大きな被害はないとのこと。社員と身内の無事の知らせに安堵(あんど)すると同時に、次々とやってくるであろうリスクに対応すべく頭をフル回転させる。

 

飛行機は飛ばないだろう。即カウンターへ向かい航空券を払い戻し、そのまま新山口駅へ向かった。新幹線も新大阪までしか行けないため、駅前のビジネスホテルへ。すぐにインターネットをつなぎ、テレビを付け、状況をできるだけ詳細に把握することに集中した。

 

大変な事が起こった。リーマン・ショックなどすっかり忘れてしまうほどの出来事。日本にとって、少なくとも私が生まれて35年の間では、間違いなく最大のピンチが訪れるだろう。

 

週明け、全社員を集めて定例のミーティングを行う。いつもとは違う空気が流れている。幸い社員とその家族に被害は無く、ほっと胸をなで下ろす。今後訪れるであろう会社としての困難はさまざまだが、まず計画停電に対応する事が急務である。由紀精密の機械は全て電気で動く。電気が止まれば仕事は進まない。しかし、この時点で肝心の計画停電の”計画”が分からない。工場のある円蔵は三つのグループに属しており、その中のどこかという情報はウェブを見てもわからず、東京電力には電話が通じない。最初に停電になる時に初めて分かるという状況。

 

この”計画が立てられない”計画停電に向け、まずは方針を決め社員に話した。①会社が停電の時は基本的に休み②自分の生活を優先して勤務時間はフレックス③今後の復興に向け被災地のためにも生産は落とさない④地震を言い訳にしないという具合である。あとは社員の自主性に任せた。この方法は功を奏し、積極的に夜勤に回ってくれる社員もおり、結論としては、ほとんど生産を落とさないで操業を続けられている。社員の応用力にはいつも助けられる。自立した社員の判断を尊重する企業文化が浸透しつつある。

20110404

おおつぼ・まさと 由紀精密の3代目、1975年茅ケ崎生まれ。東大院産業機械修了、高速携帯電話試作金型で一躍有名になったインクスを経て2006年に由紀精密入社。

(日刊工業新聞 2011年4月4日付オピニオン面に掲載)