第19回『永遠の大黒柱』

永遠の大黒柱 2011_08_29

今日も仕上げ加工の現場から軽やかなモーターの音が聞こえてくる。一定のリズムで無駄がない。このスピードでねじの仕上げができるのは社内で一人しかいない。私の父親。由紀精密の現社長である。由紀精密の創業者である私の祖父は、父がまだ大学生の時に病に倒れ、父は卒業と同時に由紀精密に入社。まだ20代半ばの若さで社長となった。社長歴は30年を優に超える。

 

私が由紀精密に入社した当時、こんなに長くやっているのになぜもっと大きくできなかったのだろう?なんでこんなにお金を借りちゃったのだろう?など父の経営手腕に疑問を持つこともあった。しかし、5年がたち、今思うことは全く違う。まだ学生で右も左も分からない状態でいきなり社長を継ぎ、自ら現場を引っ張って会社の品質を守り、創業以来60年にもなるまで会社を存続させてきた。想像を絶するような多くの困難があっただろう。母も一緒に会社を支えてきたので、私は子供のころ両親と家で夕食をとった記憶がない。家族そろっての外食は、ものすごく特別なイベントで楽しかった。

 

社長は営業活動をほとんどしてこなかった。信頼性の高い部品をお客さまに届けることで自然に仕事は増え、経済の成長に従い、世間の景気に同調しながら、じわじわと売り上げを伸ばしてきた。しかし、ITバブル崩壊後、様相は大きく変わってくる。当時は創業以来のお得意先様を中心に2社から売り上げの7割を上げていたが、軒並み受注金額が減ってしまい、本当に倒産寸前の状態まで追い込まれる。当時、私は大学院を卒業しインクスで働き始めたばかりで自分の仕事で精いっぱいだったが、頭の中では常に両親の会社が気になっていた。

 

同じような境遇の2代目、3代目経営者と話をすると、親とぶつかって大変だという話を良く聞く。しかし、私と父の間にはほとんど衝突が無い。私が従順に父の言うことを聞いているのではない。父が私の意見に一切反対しないのである。これはなかなかできることではない。当然、私が間違っていることもあるだろう。自分でも生意気を言っていると思い、あとから反省することが何度もある。

 

現場が大好きな父は、社員に「もっと社長らしいことをして下さい」と言われながら、今日も笑顔で現場に立っている。その姿を見ることで、私は安心していろいろな戦略を考え、社外を飛び回り、新しい仕事へチャレンジをする気持ちも沸き上がってくる。父は早く社長を交代したがっているようだが、そうはいかない。まだまだ社長の役割は大きく、由紀精密の大黒柱である。社長がこれからも長く現場に立っていられるような会社をつくっていく責任があると、私は勝手に感じている。

20110829

(日刊工業新聞 2011年8月29日付オピニオン面に掲載)