第2回「超複雑機構の魅力再び」

「超複雑機構」の魅力再び

【消えていく機械部品】

世の中から機械がなくなっていく。私が初めてパソコンに触れた時、記録メディアはカセットテープであった。フロッピーディスクができて、ハードディスク(HD)になった。ここまでは良い。次は、半導体製造プロセスで作られたメモリーである。カセットテープを動作させるためには多くの機械部品が必要であった。カセットを着脱し、テープを引き出し、回転させる。機械好きの私がワクワクさせられるような複雑な動きをするプレーヤーが必要である。HDには超高精度な軸と軸受、さらにはピックアップを動作させる高速な角度割り出しモーターも必要だ。

我々小型の金属部品を量産する会社にとっては作るものがたくさんあった。電話を例に挙げてもしかり。公衆電話は携帯電話になり、さらにはボタンさえなくなってしまうスマートフォンに。そこには、もはや機構部品はほとんど存在しない。

では、腕時計はどうか。多くのギアやバネを持った機械式腕時計の時代から、日本の時計メーカーが初めて量産化に成功したクオーツ(水晶発振器)式の時計となり、ゼンマイは電池に、針は液晶表示に取って代わった。時計は安価になり、正確な時間を示せるようになった。しかし現在、機械式時計はなくなっていない。時刻を知る機能をどこにでも求められる時代に変わったことで、腕時計はラグジュアリーを楽しみ、ステータスを示すためのアイテムと変わっていった。むしろ、過去にはごく一部の貴族、王族しか持つことがかなわなかった超複雑な機構を持つ時計が現在の製造技術で見事に復活し、スイスの高級腕時計業界は空前の忙しさとなっている。ここはまさに我々の得意な精密な機構部品が活躍する場である。

【日本発の超高級時計を】

由紀精密の工場に並ぶ工作機械で一番割合が多いものは、スイス型自動盤と呼ばれる機械である。これはスイスの時計業界で時計部品を量産するために開発された機械であるが、由紀精密で時計の部品を作るチャンスは今までになかった。

2012年11月、大学時代の先輩からの紹介で独立時計師の浅岡肇氏に出会った。彼は、当時トゥールビヨンと呼ばれる複雑機構を持つ機械式腕時計を作れるただ2人の日本人のうちの1人であった。浅岡氏とはすぐに意気投合し、工場にも見学に来ていただいた。もう1人、日本を代表する機械加工用の工具メーカーであるOSGの大沢二朗氏と3者でスイスに負けない超高級機械式時計を作ろうという話になった。

プロジェクトトゥールビヨンと名付けたこの時計プロジェクトは、14年3月にスイスで開催の世界最大規模の時計展示会にて最初の試作品をデビューさせることになった。この時計、4センチメートル程度の直径の中におよそ140点の部品が組み込まれる。一つひとつの部品を金属の塊から極小の工具を用いて、高精度な工作機械を使って削り出すもので、複雑な部品は1点作るだけで数日かかるものもある。量産の時計と異なり、コストダウンのために機能を犠牲にしなかった結果である。

【利益忘れるモノづくり】

部品に求められる精度は1000分の数ミリメートル。機械に任せっぱなしでこの精度を満たすことは難しい。温度変化、振動、わずかな工具の振れ、材料保持の強度、すべてを検討した上で、無限に近い組み合わせの中から最適な加工条件を導き出していく。当然、かかるコストは莫大(ばくだい)だ。800万円を超える販売価格もそのコストを考えるとお買い得にすら思えてしまう。

ほぼ1年半かけて最初のプロトタイプが完成した。機能を追求し、一切の無駄は感じられない。貴金属もダイヤも使わず、意匠的に飾ることもほとんどないが非常に美しい仕上がりだ。これで利益を上げたい、という欲望はもう吹き飛んでしまった。これこそが本当に手間のかかった高級品の魅力であろうか。今後、航空宇宙・医療機器関連部品とともに、部品加工屋は何を作るかという問いに対しての一つの答えとなるだろう。