第64回『作り手のこだわり伝える』

作り手のこだわり伝える 2012_09_17

日曜朝5時。茅ケ崎から西湘バイパスを抜け、箱根の山を登る。オープンカーの屋根を開け、自然の空気を思いっきり吸い込む。人もまばらなパーキングエリアに車を止め、自動販売機で缶コーヒーを買って、芦ノ湖の向こうに見える富士山を大観山から望む。日頃のさまざまな問題から解放され、気持ちをリセットできる瞬間である。

言葉を初めて発した時から車が好きだったようである。当時は、もちろん運転する楽しみは知らなかったので、モノとしての車が好きだったのだろう。その後、スーパーカーブームもあり、車高が低く、大きなエンジンを積んだ、スーパーカーに憧れる。18歳になると真っ先に免許を取り、スポーツタイプのクーペを中古で手に入れた。車は見るものから乗るものに変わった。

免許を取ってからそろそろ20年になる。その間にさまざまな車に乗ってきた。残念ながらスーパーカーは所有できていないが、乗ってワクワクするような素晴らしい車に出会えた。乗って楽しい条件は何だろう。ひたすら速い車が乗って楽しいとも限らない。乗り心地の良さと運転する楽しさも比例しない。そこにはスペックに現れない作り手の思想や、こだわり、作り方が乗り手の感性に反映されるのだと感じる。

せっかくの休みなのに朝早く起きて、誰に会うわけでもなく、温泉に入るわけでもなく、ただ一人、車に乗って箱根に向かう。移動するための「手段」となる場合が多い車に乗るという行為が「目的」になっている。目的と手段を取り違えるな、と言われる。手段が目的になっていないか、とも指摘される事があるだろう。はっきりとしたビジョンと目的を持って進めないと、やり方にこだわりすぎてもアウトプットが出せない。プロダクトアウトではいけない。

メーカーにとっては、製品が売れることが目的であるとすれば、その手段にこだわりすぎてはいけない。合理的な手段を取るためには、海外生産は当たり前ではないか。少し話しが飛躍しているかもしれないが、今、世間にあふれている、驚くほど安価で手に入れられる高性能の製品は、そのものを作るための手段の合理化の結果が反映されているのだろう。ただ、そこには作り手のこだわりが感じられない。車の話に戻ると、運転することが目的となっている一部のマニアックなユーザーにとってはそれでは物足りないのである。

我々中小製造業は、とことん手段にこだわり、そこから誰も味わったことがないような感動的なモノが作れないだろうか。そこに我々が活躍するステージが用意されているのではないか。そのようなものづくりを常に模索している。

20120917

(日刊工業新聞 9月17日付オピニオン面に掲載)